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  No.24  2016.6

●主な内容

  1. 二人の画家に導かれた若き日の山 <小谷  明>
  2. 大谷一良さんのこと <門井 菊二>
  3. 冬の知床斜里訪問 <中村 好至惠>
  4. 斜里町の宝 <金田 清見>
  5. 斉藤俊夫の部屋(仮称)「金沢山岳文庫」事業
  6. 尾崎栄子さんを偲んで
  7. 知床ワンデイブックスin山荘アルプ 2015年9月20日
  8. 愛され続ける「山の哲学者・串田孫一」
  9. 企画展のお知らせ
  10. 一年間の出来事 季節の便り 2015.6〜2016.5
  11. ご寄贈ありがとうございました
  12. おしらせ
  13. 編集後記

二人の画家に導かれた若き日の山     <小谷 明>


 思い返す若き日、アルピニズムに夢中だった私は、定かな人生観もないのに親の反対を押し切ってまで山に惹かれていた。ある時、辻まことさん(1913〜75)にそんな悩みを打ち明けたら、君の山登りは、と、こんな話をされた。
「子供にとっての父親は乗り越えられない尊大な存在、加えて厳格とあってはいかんともしがたく、その重圧からの逃避が山に向わせ、頂に立って万歳なんて叫ぶことで親父の頭の上に立ったつもりになっている…」。

  学生だった私には目から鱗の話だった。そのとき辻さんは「私の父親は君の親父様とは正反対の放蕩、子供の頃からさんざん困らされる存在だった」と。後に知った親父様はダダイストの中心的存在の辻潤、母上は婦人解放運動家で幼き日に出奔。その父に学校を中退させられて(17才)パリに連れられたが、画家の修行を願うも叶わぬままに連れ戻された。親父の言うことなぞ聴いたがばかりに「生涯悔いることになった」。それも故なのか独学、独創を尊ばれた。辻さんは画家であったがアトリエを持つ画家ではなかったし山でスケッチブックを開くこともなかった。が、「山の画・文」や「虫類図譜」などの作品群は、独特の味わいで心を鷲づかみにされるものだった。

小谷 明・画
  山を描く愉しさを感得させてくださったのは、山川勇一郎さん(1909〜65)(山岳画協会、一水会)だ。裕福な銀行家の子息で芸大油絵科出身、安井曽太郎の愛弟子だった。フランス留学の代りに建てて貰った立派なアトリエを構えておられたが、一年のほとんどは山で過ごされていた。山やスキーのお供をするとき、何時もスケッチに余念のない姿に接し、清清しいタッチの写生に心を奪われていた。その反面、山川さんのようには描けないことが、私を写真の世界に入ってゆくきっかけになったのかもしれない。

 対照的な生い立ちのお二人であったがともに自由人。山岳を愛されたが所謂山男ではなく、街にあっては「山の手の文化人」、洒落者でよくモテタ。私はお二人を師と仰いでついて回るうちに、お仲間たち知識人の「山」も知り自然を観る目も育てられた。そして「アルプ」(1958〜83)もそこにあった。

《1934年東京生まれ・写真家》

 

 

大谷一良さんのこと   <門井 菊二>


  初めてお会いしたのがいつ頃であったか、勤めておられた商社を退職されたあと、関連会社の役員をされていた、日本橋にあったその会社のビルの一室をお訪ねしたのが最初だったような記憶がある。おそらく三宅修さんの本を作るに際して、カバー用の装画をお願いにあがったのだと思う。依頼した装画の受け取りは八王子のご自宅で、用件も済まないうちにワイングラスが用意されて恐縮した。三宅さんの本は1991年8月に発行しているので、ちょうど緑風渡る時期のやりとりだったはずだ。


版木を彫る大谷氏
(写真提供・門井菊二)

  以来、個展が開かれるたびにご案内いただいて伺ったり、串田孫一さんの本の装画もお願いしたり、お会いする機会があるごとに、展示会場付近やご自宅あるいはご自宅周辺の大谷さん好みの店で一杯ごちそうになるのが常のようになっていた。そうしたなかで、大谷さんご自身の本もという私の求めに応じていただいて出来上がったのが『心象の山々』(2000年12月)という画文集だった。同じ印刷という手段ながら、版画は少部数の多色手刷り、本となれば機械による4色刷り多部数という似て非なるもので、刷り色を吟味し手刷りの擦れ具合まで作品の一部であるものを、均一画一的なものにしてしまうことへの懸念が大谷さんにはあったはずだが、色校正をご一緒に進めながら、「カラー刷りがたくさん入った私にとって初めての大部数の本」と笑っておられたのを思い出す。

  大谷さんの作品が生まれる一部始終を写真でまとめて何らかの形にしたいと、いつの頃からかお願いしていた。ちょうど版木を彫るからいらっしゃいと連絡をいただいて、最初の撮影にうかがったのは4年前の暮れのことだった。そのあとのインクの調製や実際の刷りに至るまで撮影を続ける予定だったが、残念ながら機会は失われてしまった。

  2003年6月、北のアルプ美術館で開かれた「大谷一良の仕事」展のオープニングにご一緒した。その折り、4穴の小さなオカリナでつたない演奏を披露したが、大谷さんにはいたく気に入っていただけたようで、幾度かアコーディオン演奏した個展のオープニングでも、あのオカリナをと所望されたりした。大谷さんは旅立たれて、そのオカリナもいつの間にかどこやらで紛失したままだ。どちらも寂しいことである。あらためてご冥福をお祈りいたします。
(大谷一良氏は2014年9月21日に逝去されました)

《編集者》

 

 

冬の知床斜里訪問    <中村 好至惠

 
 十年前の九月連休、慌ただしくも憧れの斜里岳の山頂に立てた。天候に恵まれ南斜里岳をスケッチでき、下山後は閉館間際の「北のアルプ美術館」を山崎館長に開けていただき初めての訪問を果たせた。以降、あの美しい姿の斜里岳を描きたい気持ちと、串田孫一の部屋が新設された美術館を再訪したいと思い続け、漸くこの冬、その夢が果たせた。そして、今回のアルプ訪問時には美術館から駅に向かう帰路に目にした海別岳と斜里岳の純白が夕暮れに染まりつつ変化する、この世のものとは思われぬ美しさに遭遇し、小走りしながら落日との競争で立ち止まっては描き…を繰り返した。住人には当たり前の日常でも、旅人の私の目には神々しいまでの忘れえぬ美しさだった。

  訪問した館内には永野英昭氏、大谷一良氏の作品も展示されている。永野氏は、私の個展会場にご来廊くださり大変驚いたのが一昨年の初春で、しかも間もなく訃報をこの「緑風」で目にし、信じがたかった。個展会場では可愛いふくろうの印が押された名刺を渡され「また次の時のもお知らせくださいね」と微笑みながら仰ったのに・・・。大谷氏とは白山書房『山の本』のご縁で、私の掲載作品についてありがたいご批評を頂き、また宴会の片隅では紙の素材についてなどのお話など伺う機会にも恵まれたが、なんと永野氏の後を追うように逝かれてしまった。館ではお二人の作品を前に、「もっと絵のことなどお話したかった…」と無念さと悲しみが改めて胸にこみあげた。

  当日は二駅先の清里町にある「ロッジ風景画」と云うペンションに泊まり、居ながらにして見えるという斜里岳に期待したが生憎の天候。が翌朝、荷物を纏めて出発するばかりの20分前に突然姿を現した海別岳を和紙全紙に描けたのは僥倖だった。アルプ再訪と共に美しい斜里岳を描きに行きたいと、また夢見ている。

《山の絵描き》

中村好至惠・画 2016.1.25 海別岳を見る

 

 

斜里町の宝   <金田 清見


 約30年前のことになる。山崎さんの写真集「氷海」の出版祝賀会が、駅前の旅館「斜里館」で開かれた。60人位の和やかな会で、最後に山崎さんご夫婦がステージに上がり、まず三津子奥さんがお礼を述べられた。「私は、写真家の山崎猛と結婚したつもりはございません。私は商売人の山崎猛と結婚致しましたので、皆様これからもコピーセンター(会社)を、どうぞよろしくお願い致します」……会場からワッと大きな歓声が上がった。

 次女の忍さんは、大学で学芸員の資格を取得した後に数年間、「北のアルプ美術館」に勤められた。その頃町立図書館長だった私は、図書館の町民支援団体である「としょかん友の会」の設立にあたって、所属団体の一つとしてアルプ美術館に加盟していただくことと、忍さんに会の事務局長になっていただくことをお願いした。忍さんは、会の8団体の取りまとめや味のある機関紙の発行を見事にこなされた。今、忍さんは結婚して釧路市に移り、児童館科学施設「遊学館」でボランティアのまとめ役などで大活躍されている。

北のアルプ美術館 収蔵作品
「斜里岳・北のアルプ美術館」
栗田正裕 作
 山崎さんはご出身の道南訛りで「斜里には斜里らしいものを残していきたいんだよね」と、いつも話してくださっていた。そのお言葉を受け、私たちは町内の催しや教育施設の整備計画の時に、山崎さんでなければできないご助言やご支援をいただいた。  

 

 斜里町の公民館「ゆめホール知床」がオープンした平成10年10月10日、その日に療養中の三津子さんは亡くなった。弔問したお宅で三津子さんの笑うような安らかなお顔と、通夜の弔問者にあいさつをされる猛さんの大粒の涙は、今も忘れることができない。

 斜里町の宝である北のアルプ美術館は、この奇跡のような方々に支えられて、今存在する。

《前斜里町教育委員会教育長》

 

 

斉藤俊夫の部屋(仮称) 「金沢山岳文庫」 事業


 今年もアルプの林に微かな囁きを誘い緑風が流れております。従来からある白樺やナナカマド、そして美術館20周年記念として植えた(北コブシ)や串田孫一の仕事部屋復元記念の(カツラ)、尾崎喜八120周年記念の(エンジュ)など、どれもが厳しい季節に耐え、美しい若葉を広げております。

 来年、美術館開館25周年に公開予定の「金沢山岳文庫」の建物改修工事が、桜の開花と鶯の鳴き声の中で始まりました。築28年の「山荘アルプ」は、予想以上に土台部分の腐食が激しいものでしたが、関係者のアドバイスもあり無事に基礎工事が完了いたしました。2017年6月中旬公開に向け、基本計画案に基づき本格的に作業が進みます。

 これからの作業工程ですが、10月末までに外装、内装等の工事を終え、書物・資料等を搬入し、展示作業を来春3月までに行う予定です。

 斎藤俊夫さんの生き方や人となりを感じていただけるように復元(再現)できるよう全力で取り組みますので、今後ともご支援・ご協力をお願いいたします。

館長 山崎 猛

 

基礎土台上げ工事
「山荘アルプ」全景


 

尾崎栄子さんを偲んで

2012年6月 アルプの林にて
 
    山の文芸誌「アルプ」の名付け親で詩人の尾崎喜八氏の長女、栄子さんが3月18日に亡くなられました。
 

 尾崎栄子さんは、「アルプ」に執筆もされていて、当美術館には多大なご協力をいただいておりました。再々訪問もいただき、当館20周年の時は尾崎喜八生誕120周年にもあたり、アルプの林で記念の植樹を元気にされていました。

 心よりご冥福をお祈りいたします。

  

 

知床ワンデイブックスin山荘アルプ 2015年9月20日


 本を楽しむイベント「知床ワンデイブックス」(シリエトクノート編集部主催)が当館敷地内の山荘アルプで開かれ、一箱古本市、ビブリオバトル、ブックカフェ&バー、コカリナ演奏会など、本好きの住民で賑わいました。


  

 

愛され続ける「山の哲学者・串田孫一」


 昨年(2015年)は、串田孫一生誕100年・没後10年という節目の年でした。これを記念し自宅のある小金井市のはけの森美術館で展覧会が開催されたり、山と溪谷社より特装本が刊行される等、今なお多くの人々の心に残り、愛され続けています。

 

 

 

企画展のお知らせ


■ 開催中企画展
 ― 田中 清光 ― 
『絵画・書 “仕事の歩み” 展』
 2015年10月1日
   〜 2016年9月25日
 


■『アルプ』作家・作品  2016年10月 〜常設展示拡大

 絵画・版画・写真・書・アルプ原稿など、これまでの展示作品に加え、より多くの作家の作品をご覧いただけるよう大幅に展示を拡充いたします。

 

 

一年間の出来事 季節の便り 2015.6〜2016.5


2015年
 9月20日 知床ワンデイブックスin山荘アルプ
 10月15日 斜里岳初冠雪
 11月3日 「生誕100年 串田孫一」展開催
    〜2016.1.17まで
    (主催=小金井市立はけの森美術館)

2016年

 2月5日 第30回知床ファンタジア2016
      「オーロラファンタジー」
       〜3.12まで(今冬で終幕)
 2月22日 流氷接岸初日
     (59年の観測開始以来最も遅い記録)
 3月26日 北海道新幹線開業
 4月26日 知床横断道路開通
 4月28日 アルプの林でウグイスの初鳴きを聞く
 5月7日 美術館のエゾヤマザクラが咲き始める
 5月19日 気温27度。季節外れの汗ばむ陽気(4日連続夏日に)

 

 

■ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)


田中清光・岡部洋子・山室眞二・松本純代・柏原克明・片山弘明・菊地慶一・渡辺洋一・ 小林京子・平山英三・萩生田浩・内海栄子・清水義夫・金子一成・岡田朝雄・近藤信行・ 恩田俊二・杉本賢治・太田徹也・柴田紀子・奥山淳志・佐藤敏恵・三村元博・吉井 裕・ 梅沢 俊・齋藤 衛・田中 良・高澤 戟E水越 武・新谷 通・佐藤トモ子・二科会
里文出版・創文社・幻戯書房・白山書房・東川町役場企画総務課・はけの森美術館

▲▲▲ その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました。

アルプ基金−報告− 2015年6月1日〜2016年5月31日

◎アルプ基金417,925円 ◎篤志寄付金1件1,000,000

  ご協力、ご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

 

■おしらせ

▲▲冬期間の閉館をお知らせします。2016年12月12日(月)〜2017年2月28日(火)まで閉館します。
ただし、事前にお電話、インターネットでのメール連絡等、また、在宅時はインターフォンでお知らせいただければご案内が可能ですので、ご利用ください。
▲▲開催を予定しておりました企画展 『高橋清 絵本原画展』は、都合により来年に延期させていただきます。

 

 

編集後記


2016.5.30 エゾノコリンゴ

▲水場でヒヨドリが水浴びをし、喉を震わせながら美味しそうに水を飲んでいる。草の上を走り回るエゾリスの音、木を突くアカゲラの音、キセキレイやゴジュウカラ達も楽しそうに林の中を飛び回る。戦渦の地より来た子どもが日本で鳥の声を聞き、“鳥が鳴いている!≠ニ驚いていたという記事を読み、当たり前と思っていたことが、とても幸せなことなのだと改めて考えさせられた。思索する事、考えを述べ意見し合う事etc。様々な当たり前と思う生活が続いてほしいと願います。(大島)

▲本州と北の大地を結ぶ北海道新幹線が開業し、鉄道での長距離移動が飛躍的に便利で快適になりました。科学技術の進歩により、私たちの生活はどんどん便利になり、今やスマートフォン一台持っていれば何でもできてしまう時代です。(私はまだガラケーですが・・・)今の世の中の流れの速さ、特にIT(情報技術)の進化するスピードは新幹線並に高速で、最近ついていけないなぁと思うことが多くなりました。(上美谷)

 

  No.23 2016年6月発行(年1回)
 編 集:大島千寿子/上美谷和代       題 字:横田ヒロ子
 発 行:北のアルプ美術館 山崎 猛
 〒099−4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11−2
 TEL O152−23−4000 / FAX 0152-23−4007
 http://www.alp-museum.org  メールアドレス:mail@alp-museum.org

 

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