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  No.23  2015.6

●主な内容

  1. 深い感謝を込めて <三浦  博>
  2. 私のヒマラヤトレッキング <梅沢  俊>
  3. 『「アルプ」の時代』と山口耀久さん <神長 幹雄>
  4. 厳寒の斜里へ <野呂 重信>
  5. 金沢山岳文庫事業計画・その2
  6. 大谷一良さんを偲んで
  7. 串田孫一生誕100年・没後10年
  8. 小野木三郎さん御一行来館 2014年6月25日
  9. 企画展のお知らせ
  10. 一年間の出来事 季節の便り 2014.6〜2015.5
  11. ご寄贈ありがとうございました
  12. おしらせ
  13. 編集後記

深い感謝を込めて     <三浦  博>


  遠雷の響く夏の午後、高校生だった私は、滲む汗を拭いながら小さなラジオから流れるてくるバッハのフルート・ソナタに耳を傾けました。それは寂しさの中に明るさを湛えたような不思議な音楽でした。以来、苦しみの時はいつも彼の音楽から慰めや安らぎを与えられた私は「なぜバッハの音楽は心の平安や慰めを与えるのか」を探り始めたのです。同じ頃『山のパンセ』を手にし『アルプ』の購読を始めた私は、哲学や音楽、自然や山歩き、芸術などすべての先達である串田先生にどうしてもお会いしたくて、受験浪人の身でご自宅を訪問しました。親子以上に年の離れた私を先生は丁寧に迎えて下さり、それが私の自信となって、大学時代は本州の山々を、赴任した北海道では人影もまれな山々を巡り、所属したリコーダー協会の演奏会ではバッハのポリフォニックな音楽にも取り組みました。ただ残念だったのは70年代後半に串田先生からアルプの編集へお誘い戴いたり、大切なアンサンブルの名前まで譲って戴きながら、期待にお応えできなかったことです。その後信仰の道に入った私は、二十数年間心の修行と救済の道を歩んで来ましたが、今、当時を振り返ってみると、私が山や音楽に求めていた核心は“平静なる心の探究とその持続”であり、それが“涅槃寂静”の境地へと続く道に私を導いてきたのです。その頃の記録を読み直せば、山歩きの実現に熱中する自分の姿と共に、そのためにどれほど多くの方々が惜しみなく力を貸して下さったかが、レリーフのように浮かび上がって見えてきます。

 初めて串田先生にお会いしてから40数年の歳月が流れましたが、太い白樺のある玄関や壁一面本で埋め尽くされた洋室、芸術的で科学的な教養に満ちた山小屋のような雰囲気の中でルンペン・ストーブに火をともす先生の姿が、今も懐かしく想い出されます。すでに還暦を過ぎた私がもし山の記録をまとめるとしたら、串田先生をはじめ、多くの方々への深い感謝を込めて『山のパンセ』の次の一節をエピグラフにするつもりです。
「この静かな自然の豊かな広がりから、高貴なものを得るためには、
どうも自分の存在につながる意識を、捨てなければならないだろう」

幸福の科学 / 箱根精舎講師》


1972.10 北八ヶ岳・雨池


 

私のヒマラヤトレッキング   <梅沢  俊>

 白く輝くヒマラヤ山脈、その神々しい姿を眺めながら山麓、山腹を渡り歩くのがヒマラヤトレッキングの魅力だろう。空気の澄みわたる秋は遥か遠くの山々まで見渡せ、春は大木に溢れんばかりの花をつけるシャクナゲを背景に白い峰峰が望まれる。山好きにとってはたまらない光景である。

 私もそのような光景に接する機会を得たことがあるが、ここ数年ほとんど山の姿が見えない雨期にヒマラヤを旅している。理由は簡単、花を探すためである。標高4000m付近の高山帯に花が咲くのは6月から9月にかけての雨期なのである。ヒマラヤといえばその昔、後にプラントハンターと呼ばれる人たちが美しい花を求めて跋渉した舞台である。彼らの残した記録から、未だほとんど人の目に触れられていない花々をフィルム(私はまだフィルムだ!)に記録しておきたいのである。それらは多岐にわたっているが、私の場合は“青いケシ”に的を絞っての探索である。透きとおるような青い花弁に代表される“青いケシ”の仲間(ケシ科メコノプシス属)は約80種、花色も白から黄色、赤、紫…と多彩である。中国内陸部に多いが、ヒマラヤにも20種以上が数えられる。

 先人たちが辿ったように、雨や山ヒルと闘いながら樹林帯を脱し、高山帯のお花畑に目的の花を探し当てた時の充実感を何と表現しようか。その味を忘れられなくて懲りもせず、毎年挑戦し続けているのである。

《植物写真家》

 この原稿の送付後、ヒマラヤが大きく揺れネパールは甚大な被害を受けた。支援のためできることはしているが、地震の大きさに比べてあまりにも微力であることがもどかしい。

2014年の夏、中央ネパールのマチャプチャレ(6993m)の中腹で60年振りに
見つけたメコノプシス・テイラリー(Meconopsis taylorii)  写真 / 梅沢 俊

 


 

『「アルプ」の時代』と山口耀久さん    <神長 幹雄>

 雑誌と書籍の編集に携わって、早いものでもう40年にもなる。長かったようでもあり、あっという間の出来事だったような気もする。おいおい、過去を振り返るには、まだまだ早すぎるんじゃないの、という声も聞こえてくる。

 そうしたこれまでの編集経験のなかで、『アルプ』という雑誌に関わりをもてたことは、とても感慨深いものがある。1958年の創刊であるから、私が実際の編集現場に入ってきたときには、すでに完成され 、地に足をつけた 雑誌の地歩を築いていた。その上質な随想や紀行、詩などの内容はもちろんのこと、余白を生かした体裁や広告を入れないその方針にいたるまで、ずっと気になるいわば憧れの存在だった。だから常連の執筆者たちと新たな接点をもち、原稿を依頼することも少なからずあった。 その代表的な 1 人が、山口耀久さんである。

 どちらかというと、串田孫一さんをはじめとした東京外語大の 関係者 たちは、おしなべて紳士的である。一方、山口さんは、そのべらんめい口調からか、時に過激とも映る思考が対照的でさえあった。私が初めて、大森の高層アパートに山口さんを訪ねたのは、その『アルプ』 が終幕を閉じようとしていた ころだったと思う。依頼した原稿はあっさり断られてしまったが、下町ふうの口ぶりは健在で、ついつい話に惹きこまれてしまったことを覚えている。

 爾来、機会をみては、久我山の「福寿荘 」という花好きの山口さんらしいアパートに何度となく足を運んだ。その折々、原稿の依頼はそっちのけで、豊富な話題に時間のたつのも忘れて話し込んでしまう。山口さんは意識していないかもしれないが、かつて編集者でもあった彼の口から編集や本作りの楽しさが語られるのである。そこには編集者の矜持もあったと思う。そしてその根底に流れていたのは、 決まっ て、学ぶ姿勢と人への興味、そして見る目の優しさだった。

『山荘アルプ』で執筆中の山口耀久氏
2008年8月19日〜10月5日まで滞在

 そうした時間の積み重ねがあったからこそ、山口さんの労作『「アルプ」の時代』は完成したと思う。本が店頭に並んだとき、多くの人から「大変だったでしょう」と言われたが、私はそう思ったことは1度もない。確かに書籍ができるまでに、これほどの時間がかかるとは思わなかった。しかし、それはすべて「醸造」するために必要な時間だったのではないだろうか。じっと待つことも重要な編集作業であることを、山口さんはまさに身をもって教えてくれたのである。                          

《元「山と溪谷」編集長》

 

 

 

厳寒の斜里へ   <野呂 重信>

 2015年1月、念願であった北のアルプ美術館訪問の旅が実現しました。札幌に住む友人が毎月斜里に出張勤務するとのことから、その勤務日程に合わせて斜里に来ては‥とお招きを受け、千載一遇の機会到来!と早速斜里に飛びました。
荒天続きの今冬、運良く天候の安定した5日間斜里に滞在でき、美術館は冬季休館中でしたが館長のご好意により見学が許されました。
美術館では深い温もりを感じながら幾多の上質な作品や資料に触れ、期待通りの悦びをかみしめました。

 また、初対面とは思えない柔和で親しみ深い山崎館長との会話は、至福の時間となり、訪ねた日の夕刻に“今日は流氷の匂いがする”と仰って、“明朝きっと流氷が来ているから一緒に見に行こう”と誘って下さいました。翌朝その予感が的中、今冬初めての流氷接岸に遭遇、知床・オホーツクの流氷撮影にも案内して下さり稀有な幸運に恵まれました。初めて見る氷海は、空・雲・光・風・波が渾然一体となって見事なハーモニーを奏で、鮮烈な感動の連続でした。

斜里海岸の流木と流氷
斜里港近くの防潮堤と流氷
 
写真 / 野呂重信

知床や北の海を知り尽くした山崎館長との撮影行は、一人旅ではとても踏み込むことが困難な未知の領域であり、大自然と同化する夢のような時空を体験することが出来ました。

*

 神戸に帰り、山崎館長の著書“日本の灯台”“オホーツク流氷の世界”“氷海”等を改めて読み返し、その強靭な身体と精神力、漲る情熱を強く感じ、夢のような出会いに感謝し、人生の良き指針をいただけたと思っています。

 私も若き20代の頃、山の文芸誌“アルプ”に出会い、以来アルプが持つ精神に傾倒、今もほぼ全巻を大切にして折々に懐かしく愉しんでおります。

 定年後は北アルプス山麓、信濃大町に居を移し、8年間信州の自然と山々を満喫したのですが、今回の斜里への旅が私の心にまた新たな灯をともしてくれました。

 山崎館長の志が山や自然を愛する全ての人々に浸透し、北のアルプ美術館が斜里の地で耀き続けることを願ってやみません。

《神戸市在住》

 

 

金沢山岳文庫事業計画・ その2


  稲が大きく風波をなびかせていた頃、石狩当別から運ばれた「金沢山岳文庫」(斉藤俊夫さんの蔵書・山岳資料)は、北のアルプ美術館の倉庫の書架で早い出番を待っている。当美術館の25周年記念事業として準備を進めており、平成29年6月公開を予定しております。


 

大谷一良さんを偲んで


  版画家で「アルプ」の編集委員をされていた大谷一良さんが、昨年9月21日に亡くなられました。大谷さんは、北のアルプ美術館設立や「串田孫一の仕事部屋」の開設に多大な御尽力をいただき、精神的にも大きく支えていただきました。モーツアルトとお酒が好きで、いつもにこやかな方でした。これからは大谷さんのアドバイスが聞けないと思うと淋しい限りです。御冥福をお祈りいたします。

  

 

串田孫一生誕 100 年・没後 10 年

  今年は串田孫一生誕100年・没後10年、そして知床も世界自然遺産に指定されて10年です。『串田孫一仕事部屋』の復元を記念して植樹した「桂の木」も3年目の若葉を広げ、紺碧の空に伸びています。串田孫一さんが美術館設立時に寄せてくれた一文にある「この美術館のあるところから、病める地球が見事に癒されていく爽やかな緑が、先ず人々の心に蘇り、ひろがって行くことを願っている。」の言葉。様々な思いを込めて植えられた沢山の木々達と共に、この美術館がこころに緑を蘇えらせる場でありたいと思います。


  

 

小野木三郎さん御一行来館 2014 年 6 月 25 日


  岐阜県高山市在住で「アルプ」作家であった小野木三郎さんが『北のアルプ美術館と原生花園を訪ねる旅』というツアーを計画され、参加者39名が初夏の道東を巡りながら美術館へお立ち寄り下さいました。

 

 

  

 

 

企画展のお知らせ

■ 開催中企画展  2014年9月17日 〜 2015年9月27日
「アルプ」山の版画三人展
― 畦地梅太郎・一原有徳・大谷一良 ―


■ 次回企画展  2015年10月1日 〜 2016年9月25日

― 田中清光 ― 『絵画・書 “仕事の歩み” 展』

<田中清光 プロフィール>
  詩人・画家。1931年、長野県生まれ。十数冊の詩集、また明治、大正、昭和の詩、とくに立原道造、堀辰雄、八木重吉、山村暮鳥、山と詩人などについて評論を書く。日本詩人クラブ賞、日本現代詩歌文学館賞、山本健吉文学賞、三好達治賞など受賞。「串田孫一集全八巻」の編集・解説を手がける。

 


■ 2016年10月〜企画展(予定) 
― 高橋清 絵本原画展 ―

<高橋清プロフィール>
  1929年、京都生まれ。油絵作家として活動のかたわら、植物や昆虫などの生態を克明に描いた絵本を制作。作品に「日本」・「道ばたの四季」・「冬の虫 冬の自然」・「野の花 道ばたの草」 ( 以上、福音館書店)など著書多数。千葉県印旛郡酒々井町在住。

 

 

一年間の出来事 季節の便り 2014.6〜2015.5

2014年
 10月1日 斜里岳初冠雪
 11月24日 斜里の住宅地に野生のトド出没

2015年
 1月13日 斜里の以久科海岸に流氷接岸
 3月3日 網走で海明け
 4月24日 羅臼町で謎の海岸隆起
 4月30日 アルプのエゾヤマザクラ開花
 5月1日 知床横断道路開通
 5月29日 アルプの林でエゾハルゼミの初鳴き


北のアルプ美術館の基礎となったギャラリー・アドの
跡地に公園造成。北海道新聞に掲載されました。

 

■ご寄贈ありがとうございました(順不同・敬称略)


田中芳幸・恩田俊二・田中清光・清水義夫・荒井正人・安藤秀幸・八木祥光・小田島護・野口冬人・朝倉佳文・塩谷マキ・岡部洋子・大森久雄・松村和仁・片山弘明・萩生田浩・渡辺禎男・広野行男・高澤光雄・野呂重信・松岡義和・加藤建亜・浜野泰一・植田 莫・吉井 裕・中村 誠・水越 武・小島 紘・梅沢 俊・牛尾 孝・三浦 博・二階堂良憲・小野木三郎・鮫島惇一郎・日本山岳会・東川町役場企画総務課・朝日出版社未定同人会・創文社・角川学芸出版・国際日本文化研究センター・白山書房・文京書房・美幌博物館・斜里町立知床博物館・北海道立北方民族博物館・北見芸術文化ホール・網走市立美術館

▲▲▲ その他各地の美術館、博物館、記念館より資料や文献等をお送りいただきました。

アルプ基金−報告− 2014年6月1日〜2015年5月31日

  542,063円となっております。
  ご協力、ご支援に心より感謝とお礼を申し上げます。

 

■おしらせ

▲▲冬期間の閉館をお知らせします。2015年12月14日(月)〜2016年3月1日(火)まで閉館します。
  ただし、事前にお電話、インターネットでのメール連絡等、また、在宅時はインターフォンでお知らせいただければご案内が可能ですので、ご利用ください。

 

 

編集後記


2015.5.23 チゴユリ(稚児百合)

▲ 串田孫一さんの資料整理が9割以上終わりました。心の向くままに鉛筆を走らせたような絵、英字新聞も使って張り付けたコラージュ、多くの雑誌や新聞に掲載された文。その中には、平和への思いや、当時出されていた国家機密法への反対声明もありました。折しも今、国会では安全保障関連法案の審議がされています。国の有りようを左右する問題に、誠意を欠く態度を見せるこの国の首相。他人任せではなく、考える頭と物事を見る目を失わないようにしたいと思っています。(大島)

▲ 今年の冬、何度となく暴風雪に見舞われた道東地方…春の到来がいつになく待ち遠しく感じられました。知床が世界自然遺産に登録されてから7月で10周年を迎えます。この地に長く住んでいると当たり前に見過ごしてしまう景色が沢山あります。改めて地域の魅力を再確認したいと思います。(上美谷)

 

  No.23 2015年6月発行(年1回)
 編 集:大島千寿子/上美谷和代       題 字:横田ヒロ子
 発 行:北のアルプ美術館 山崎 猛
 〒099−4114 北海道斜里郡斜里町朝日町11−2
 TEL O152−23−4000 / FAX 0152-23−4007
 http://www.alp-museum.org  メールアドレス:mail@alp-museum.org

 

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