伊藤秀五郎(いとうひでごろう)

明治38年1月20日〜昭和51年2月22日(1905〜1976)
昭和時代の登山家、生物学者。横浜生まれ。北海道帝大卒。
北海道帝大在学中、北海道・北千島の諸山を踏破し、大正15年山岳部を創立。『山とスキー』詩の編集に従事して槙有恒(まきありつね)らとまじわる。昭和10年、ペンシルベニア大学に生物学研究のため留学。戦後は北海道学芸大学教授、北海道教育委員会教育長を歴任し、昭和35年に札幌医科大学教授となる。
詩集に『風景を歩む』、著作に『北の山』など。

尾崎喜八(おざききはち)

明治25年1月31日〜昭和49年2月4日(1892〜1974)
大正〜昭和時代の詩人、随筆家。東京生まれ。京華商業卒。
山岳と自然を主題とした詩や散文に多くの優れた作品を残した。ロマン・ロランと白樺派の影響下に文学的出発をした後、高村光太郎とともに詩と芸術への研鑽を重ねた。その後自然と人間についての思索にみちた詩・随筆に独自の境地を開いた。戦後の7年間、長野県諏訪郡富士見町に住み、後期の代表作である詩集『花咲ける孤独』を書いた。雑誌『アルプ』の名付け親でもある。

串田孫一(くしだまごいち)

大正4年11月12日〜平成17年7月8日(1915〜2005)
昭和〜平成時代の哲学者、詩人、随筆家。東京生まれ。東京帝大卒。
1958年(昭和33)、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊。1983年(昭和58)に終刊するまで編集責任者を務めた。1965年(昭和40)からはじめたFMラジオ番組『音楽の絵本』は1500回をかぞえた。
著作は膨大な量に上り、山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたる。初見靖一の筆名をもつ。
詩集『羊飼の時計』、『山のパンセ』などが主著。

草野心平(くさのしんぺい)

明治36年5月12日〜昭和63年11月12日(1903〜1988)
大正〜昭和時代の詩人。福島県生まれ。中国広州の嶺南(れいなん)大中退。
大正14年(1925)広州で詩誌『銅鑼(どら)』を創刊。帰国後の昭和3年アナーキスティックな反逆精神と生命力讃美を蛙に託してうたった第一詩集『第百階級』を刊行、詩人としての地歩を固める。
以後詩誌『学校』『歴程』を創刊し詩人を糾合する一方、詩集『母岩』(昭和10)、『富士山』(昭和18)など旺盛な詩作活動を展開し、『定本蛙』(昭和23)で第一回読売文学賞受賞。62年文化勲章受賞。
 

山本太郎(やまもとたろう)

大正14年11月8日〜昭和63年11月5日(1925〜1955)
昭和時代の詩人。東京生まれ。東大独文科卒。
山本鼎(かなえ)の長男、北原白秋の甥。金井直(ちょく)らと「零度」を創刊し、昭和26年「歴程」同人となる。29年第一詩集『歩行者の祈りの唄』を刊行。以後『ゴリラ』(昭和35)、『単独者の愛の唄』(昭和36)、『糾問(きゅうもん)者の惑いの唄』(昭和42)など数多くの詩集を上梓した。
評論に『詩のふるさと』(昭和40)など。

鳥見迅彦(とみはやひこ)

昭和43年2月5日〜平成2年5月25日(1910〜1990)
昭和時代後期の詩人。神奈川県生まれ。横浜商専(現横浜市立大)卒。
戦前、非合法活動で何回か入獄。その体験を背景に第一詩集『けものみち』を発表し、昭和30年H賞を受ける。詩集はほかに『なだれみち』『かくれみち』、編著に『山の詩集』『友に贈る山の詩集』など。本名は橋本金太郎。

田中清光(たなかせいこう)

昭和6年3月19日〜(1931〜)
昭和後期〜平成時代の詩人。長野県生まれ。上田中学卒。
昭和27年『愛と生命のために』を発表。詩誌『アルピレオ』『花粉』『オルフェ』などの同人となる。戦前の『四季』派につながる、つつましくさわやかなリリシズムの詩集『黒の詩集』『風の家』や評論『立原道造の生涯と作品』『詩人八木重吉』などを刊行。平成9年『岸辺にて』で詩歌文学館賞受賞。20年『風景は絶頂をむかえ』で三好達治賞受賞。
   
 

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