田中清光さんの心は、

常に独立樹として在る。

曠野や高原に立つ一本の樹は、

強風や激しい日光と共に思繹し、

しかも悟らない。

串田 孫一

 

 北海道知床という豊かな自然をもつ稀有の地で、わたしの創造してきた絵画を展覧していただけることは、自然を重視して生きてきたわたしにとって無上の歓びで、心から感謝しております。

 この地にわが国に唯一無二の「北のアルプ美術館」があること、そこに串田孫一さんの 小宇宙 ( コスモス ) といえる書斎が移されたこと、それは斜里町におけるすぐれた精神の財産を表しています。山崎館長が尊敬してやまない串田さんという存在は、わたしにとっても生涯の師であります。

 こうした交感がこの地で結びつき、このたびの展覧会となったのです。 

 わたしの生命としての詩(文学)と絵画。その表現のなかでは、東京大空襲での十万人の無辜の死や親友の死が、身体の底から、言葉や絵具を烈しく立ち上がらせずにはいない時間が訪れます。

 それらの集積に、山崎館長が目をそそぎ、選び出された展示であります。それが斜里という私にとって「不壊の地」(ほろびることのない地)と考える町で展覧される熱い想いは、言葉を超えます。

 この拙ない一人の人間が、自然と平和とを大切に想いつつ挑みつづけてきた絵画表現が、戦後70年にあたる今日、ご覧下さる方に、何かをお贈りできることを、心底から祈っております。

( 2015 年 7 月)

田中 清光

 

田中 清光  詩人・画家

1931年長野県松本市で生まれる。小学校より東京下町に住むが、1945年3月10日の東京大空襲で全てを失い「未来」までをも奪われる。
信州に疎開、家族の糧を得るため戦後は地方銀行八十二銀行に就職をする。「未来」を奪い返すべく、詩を書くことが生きる支えとなる。
19歳の時、習作集として自家版で出した「愛と生命のために」を串田孫一氏に進呈した事が縁となり交流が始まる。
1976年、文筆業に専念すべく45歳で銀行の支店長を最後に退職する。
1958年、串田孫一氏が代表となった「アルプ」が創刊され、田中氏は終刊300号まで91冊に詩・評論・エッセイを執筆。
詩作のかたわら瀧口修造氏の示唆に加え、少しずつ試みていたデカルコマニーの手法を取り入れた水彩画の絵画制作を始める。
今年、戦後70年にあたり詩文集「東京大空襲とは何だったのか」を自家版で刊行する

本の販売物コーナーで田中清光さんの著書を数多く販売しておりますので、ご覧ください。


   
 

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